1950年、インドネシアのジャワ島生まれ。本名はモイラ・チェン。日本ではフランス人、あるいはオランダ人とのハーフと宣伝されたが、実際は純粋なインドネシア人。美しい肢体を活かしてファッション・モデルとなり、写真家としても有名なフランシス・ジャコベッティと仕事をするうちに彼の監督作「続エマニエル夫人」(75)の端役で映画デビュー。「さすらいの航海」(76)でオーソン・ウェルズの愛人役を演じた後イタリアに渡り、250人の候補の中から「愛のエマニエル」(75)の主役の座を掴む。劇中の役名そのままの“エマニエル”というクレジットで銀幕に登場、大胆な官能演技でセンセーションを巻き起こし、世界的な成功を収める。本家「エマニエル夫人」と並んで“ジェムサー=エマニエル”の物語も独自にシリーズ化され、本作以外にも『Emanuelle
nera orient reportage』(76)、『Emanuelle
in America』(76)、『Emanuelle - perche
violenza alle donne?』(77)、『Emanuelle
and the White Slave Trade』(78)などが矢継ぎ早やに製作される。芸名をラウラ・ジェムサーに戻した後も、ソフトコア・ポルノのブームに乗って数々の作品に出演、90
年代初めまで女優活動を続けた。公私共に最愛の伴侶だった俳優ガブリエル・ティンティの死去により、現在は映画業界から完全に引退。自身の出演作はほとんど見ず、女優としての野心も希薄だった彼女は当時を振り返り、世界中を旅行できる映画の撮影環境が好きだっただけとコメント。ベッド・シーンの撮影では眠りこけてしまうことも多かったとか。