ニューラインのCI空白サイトマップリンク集お問い合わせ会社概要 ニューラインのCI
トップフィギュアイベント限定商品ガレージキット完成品DVD&ブルーレイ出版情報新着情報ソニックブーム通信販売
■個別商品情報空白TOP>DVD&ブルーレイ>絶版商品>個別商品情報
空白
帯
タモリの「世にも奇妙な物語」をはじめとするオムニバス・ホラーの元祖が初DVD化!!
空白
罫線
空白
写真
空白
空白
空白

DVD 2004年12月24日発売!
豪華声優陣による日本語吹替版収録!!

空白
ご注文はこちら
空白

空白
罫線

空白
ASBY-2763 ■税込\3,990(税抜\3,800)
■本編116分+映像特典
■片面2層
■カラー
■ビスタサイズ(16:9スクイーズ仕様)
■1:仏語(オリジナル)モノラル/2:日本語吹替 モノラル/3:BGMステレオ(一部モノラル)
■DOLBYDIGITAL
■1:日本語字幕/2:吹替用字幕
■リージョン2

発売元:株式会社ニューライン
発売代理:株式会社パノラマ・コミュニケーションズ
販売元:アミューズソフトエンタテインメント株式会社

罫線
写真空白写真空白写真
© 1968 TF1 INTERNATIONAL/ P.E.A.
罫線
空白
※本編時間に関し、各文献資料では「121分」となっておりますが、今回のマスターは正確には「116分15秒」です。
 これはPALとNTSCの1秒間のフレーム数の違いにより、変換した際に5分ほど誤差が生ずるためで、ノーカット版
 であることに間違いはございません。
※日本語吹替音声は現存するテレビ放送素材をそのまま収録しているため、一部吹替音声が無い部分は日本語字幕に
 なっております。また、音質上お聞き苦しい箇所がございますが、元素材に起因するものです。
  ※本編第2話のBGM音声の一部に「効果音」が含まれておりますが、現存する音源素材に起因するものです。

罫線
空白
空白帯
空白
空白
イメージバー空白
空白
 ●オリジナル予告編
 ●ギャラリー
 ●プロダクションノート
 ●スタッフ&キャスト・プロフィール
空白
 
罫線
空白
解説
写真 怪奇文学の巨星、エドガー・アラン・ポー。彼が遺した鮮烈な悪夢の世界を、ヨーロッパ映画界を代表する3人の監督が映像化。美しく残忍な女伯爵の歪んだ恋慕を、耽美と退廃のなかに綴るロジェ・ヴァディムの「黒馬の哭く館」。自らの分身と対面した男が辿る皮肉な末路をミステリアスなタッチで描くルイ・マルの「影を殺した男」。そして、紅に染められた夕暮れのローマに降り立った青年俳優が、白い鞠を手にした少女の幻影に取り憑かれて狂気の淵をさまようフェデリコ・フェリーニの「悪魔の首飾り」。
 豪華スターの鬼気迫る競演、圧倒的な視覚イメージと豊かな色彩、堂々とした風格を備えた流麗な演出。愛と憎しみ、死と転生、ロマンと幻想の織り成す至高のホラー・オムニバス大作である。

○1967年フランス=イタリア映画/レス・フィルムズ=コシノール=PEA製作
○1969年日本劇場公開作品(配給:日本ヘラルド映画)日本ヘラルド映画創立10周年記念大作
空白
空白帯
空白
空白
イメージバー空白
空白
罫線
■世にも怪奇な物語  

製作:

原作:

空白 アルベルト・グリマルディ (「ギャング・オブ・ニューヨーク」)
レイモンド・イーガー (「華麗な関係」)
エドガー・アラン・ポー (「アッシャー家の惨劇」)
 
罫線
■第1話 (中世篇) 黒馬の哭く館 Metzengerstein
空白
写真
監督・脚本:
共同脚本:

撮影:
音楽:
キャスト:

 
ロジェ・ヴァディム (「バーバレラ」)
パスカル・カズン (「花のようなエレ」出演)
ダニエル・ブーランジェ (「まぼろしの市街戦」)
クロード・ルノワール (「フレンチ・コネクション」)
ジャン・プロドロミデス (「血とバラ」)
ジェーン・フォンダ(「「バーバレラ」)
ピーター・フォンダ (「イージー・ライダー」)
罫線
■第2話 (近代篇) 影を殺した男 William Wilson
空白
写真
監督・脚本:
共同脚本:

撮影:
音楽:
キャスト:

  ルイ・マル (「死刑台のエレベーター」)
クレメン・ビドルウッド (「赤いブーツの女」)
ダニエル・ブーランジェ
トニーノ・デリ・コリ (「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」)
ディエゴ・マッソン (「ブラック・ムーン」)
アラン・ドロン (「太陽がいっぱい」)
ブリジット・バルドー(「軽蔑」「私生活」)
罫線
■第3話 (現代篇) 悪魔の首飾り Toby Dammit
空白
写真
監督・脚本:
共同脚本:
撮影:
音楽:
キャスト:

  フェデリコ・フェリーニ (「8 1/2」「道」)
ベルナルディーノ・ザッポーニ (「サスペリアPART2」)
ジュゼッペ・ロトゥンノ (「オール・ザット・ジャズ」)
ニーノ・ロータ (「ゴッドファーザー」)
テレンス・スタンプ (「ホーンテッド・マンション」)
サルヴォ・ランドーネ (「サテリコン」)
罫線
空白
罫線
空白
空白帯
空白
空白
イメージバー空白
空白
写真 空白 アルベルト・グリマルディ Alberto Grimaldi (製作)
 1925 年3月28日、イタリアのナポリ生まれ。大学で法律を学び、映画会社のカウンセラーを経験後、プロデューサに転身。自らが社長を務めるPEAプロ製作の「夕陽のガンマン」(65)、「続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」(66)が大成功を収め、その名を知られるようになる。「デカメロン」(70)、「カンタベリー物語」(71)、「アラビアンナイト」(74)と、パゾリーニの艶笑文学三部作を手掛けたほか、ベルナルド・ベルトリッチ監督の「ラストタンゴ・イン・パリ」(72)、「1900年」(76)などを世に送り出す。近年も息子のマウリツィオと共に「ギャング・オブ・ニューヨーク」(01)を製作するなど精力的に活動。カルロ・ポンティ、ディノ・デ・ラウレンティスと並び、イタリア映画界の三大プロデューサと称される
空白
罫線
空白
写真   ロジェ・ヴァディム Roger Vadim (第1話:監督・脚本)
 1928 年1月26日、パリ生まれ。父はウクライナ系ロシア人、母はフランス人で、本名はロジェ・ヴァディム・プレミアニコフ。中等教育を終えて大学入学資格を取得後、シャルル・デュランについて演技を学ぶ。44年から3年間は若手俳優として「リア王」など幾つかの舞台に出演。同じ頃、「パリ・マッチ」誌の記者をする傍ら、ラジオドラマの脚本や演出を経験する。47年に映画界に入り、マルク・アレグレに助監督として師事。49年に渡英し、アレグレ監督の2本のイギリス映画で脚本を担当。51年、フランスに帰国し、「裸でご免なさい」(56)、「黙って抱いて」(57)などの脚色を経て、「素直な悪女」(56)で監督デビュー。大胆なエロティシズム描写が話題となり、主演のブリジット・バルドーを一躍スター女優に押し上げる。以来、耽美派の鬼才の名を欲しいままにし、「血とバラ」(61)、「悪徳の栄え」(62)、「輪舞」(64)、「バーバレラ」(66)などを発表、名実共に絶頂期を迎えた。派手な女性遍歴でも知られ、最初の妻ブリジット・バルドーに始まり、「危険な関係」(59)に出演したアネット・ストロイベルグ、「獲物の分け前」(66)のジェーン・フォンダと結婚・離婚を繰り返し、「悪徳の栄え」(62)のカトリーヌ・ドヌーヴとは入籍せずに男児クリスチャンをもうける。最後の妻となったマリー=クリスティーヌ・バローと90年に4度目の結婚。2000年2月11日、パリで癌のために72歳で没した。
空白
罫線
空白
写真 空白 ジェーン・フォンダ Jane Fonda (第1話:フレデリック役)
 1937 年12月21日、ニューヨーク市生まれ。名優ヘンリー・フォンダと二番目の妻フランセス・ブラッカウの間に誕生。12歳の時に夫の浮気を苦に母が投身自殺。父への反感から屈折した青春時代を過ごす。エマ・ウィラード・スクール在学中に画家を志してパリに留学。次第に女優に対する興味が芽生え、帰国後に名門ヴェッサー女子大に入学。父と共に夏芝居の巡業を経験。59年にモデルとなり、「エスクワイア」「ヴォーグ」誌などのカバーを飾る。アクターズ・スタジオで演技を学び、ジョシュア・ローガンに認められて「のっぽ物語」(60)で映画デビュー。しかし父親と比較されるのを嫌い、「危険がいっぱい」(64)への出演を機にフランスに渡る。この作品で共演したアラン・ドロンの紹介でロジェ・ヴァディム監督と出会い、彼の「輪舞」(64)出演直後の65年に結婚。68年9月には一女を出産。ヤンキー娘から華麗な色香を漂わせるセクシー女優に転身し、「バーバレラ」(68)などで成功を収めた。やがて時代がベトナム戦争混迷期に差し掛かると、政治活動に身を投じるようになり、70年にヴァディムと別居。娘を連れてアメリカに帰国後、73年に正式離婚。女優と反体制の闘士の両面で活動を続け、「コールガール」(71)、「帰郷」(78)で2度のオスカーを受賞。その後もワークアウト・ビデオの発売や、メディア王のテッド・ターナーとの結婚・離婚、女優引退宣言など、話題には事欠かないが、最近になって本格的な女優復帰が噂され、改めて動向に注目が集まっている。
空白
罫線
空白
写真   ピーター・フォンダ Peter Fonda (第1話:ウィルヘルム役)
 1939 年2月23日、名優ヘンリー・フォンダの息子としてニューヨーク市で誕生。幼い頃に父の浮気を苦に母が自殺し、そのショックから孤独で暗鬱な少年時代を過ごす。姉ジェーンと共に母方の祖母に育てられ、12歳から戯曲を執筆、13歳で学生演劇の製作・台本・演出を担当する。当初は俳優を毛嫌いしていたが、役者一家の血は争えず、オマハ大学在学中に俳優を志す。卒業後、セシルウッド劇団に入団し、ブロードウェイの舞台に立つ。61年には最も期待される若手俳優としてニューヨーク・ドラマ批評家賞を受賞。63年、「タミーとドクター」でアイドル女優サンドラ・ディーの相手役として映画デビュー。長身にナイーブな青年役で好評を博すが、ハリウッド体質に馴染めず、“インディペンデント映画の帝王”ロジャー・コーマン一派と接触。従来のイメージを払拭した「ワイルド・エンジェル」(66)で注目される。やがて自ら製作会社パンドを設立し、アメリカン・ニューシネマの代名詞ともなった「イージー・ライダー」(69)を発表。監督・主演を務めた「さすらいのカウボーイ」(71)も高い評価を受け、新生アメリカ映画を担う才能と目されるようになる。その後は活動の中心をB級アクション映画に移したが、「木洩れ日の中で」(97)でアカデミー主演賞候補となり、久々に脚光を浴びる。しかし本人は全く無関心で、相変わらずハリウッドの生活を嫌い、モンタナの山里で悠々自適の生活を送っている。前妻との間に生まれた娘ブリジット・フォンダは女優に、息子ジャスティンも撮影助手として活躍中。
空白
罫線
空白
写真 空白 ルイ・マル Louis Malle (第2話:監督・脚本)
 1932年10月30日、ベルギー国境に近い北フランスのノール県テュムリーで誕生。富豪一族の出身で、父は砂糖と鉄工業を経営する実業家。カトリックの厳しい教育を受け、戦後の混乱期に少年時代を送る。ブルジョワ的環境に反発を感じ、14歳頃から映画に傾倒。51年に映画高等研究所に入学し、2年間映画技法を学んだのち、ジャック=イヴ・クストー監督の「沈黙の世界」(53)に参加。自ら水中の檻に入り、鮫の撮影を試みるなど奮闘し、共同監督のクレジットを得る。その後、助監督を経て57年、「死刑台のエレベーター」で監督デビュー。斬新な演出とモダンジャズを散りばめた現代的な作風が多くの観客にアピールし、一躍ヌーヴェルヴァーグの若き旗手として注目される。続く「恋人たち」(58)も成功を収め、「地下鉄のザジ」(60)、「私生活」(62)、「鬼火」(63)と、傑作を次々と発表。76年に渡米し、「プリティ・ベビー」(78)を製作・監督。87年には、約10年ぶりに母国フランスで撮った「さよなら子供たち」でセザール賞7部門を独占する快挙を成し遂げる。女性関係も華やかで、アンヌ・マリー・デショット、ギラ・フォン・ヴィターハウゼンとの2度の離婚後、81年にキャンディス・バーゲンと結婚。85年11月に一女をもうける。95年11月9日、癌によりビバリーヒルズで死去。享年63歳。
空白
罫線
空白
写真   アラン・ドロン Alain Delon (第2話:ウィリアム・ウィルソン役)
 1935 年11月8日、パリ南郊のソーで映画館主の息子として生まれる。幼い頃に両親が離婚。9歳で母親の再婚相手に引き取られるが新しい家庭に馴染めず、17歳で海兵隊に志願する。1年後に陸軍へ転属し、インドシナ戦線に従軍。54年の停戦で現地除隊となり、世界各地を放浪して帰国。パリで職業を転々とする生活を送るうちに、友人の紹介でイヴ・アレグレ監督の「女が事件にからむ時」(56)で映画デビュー。日本には「お嬢さん、お手やわらかに!」(58)で初登場し、天性の美貌を武器にたちまち人気俳優に。続く「太陽がいっぱい」(60)、「若者のすべて」(60)で大スターへと成長する。私生活では「恋ひとすじに」(58)で共演したロミー・シュナイダーと婚約するもゴールインには至らず。のちに「黒いチューリップ」(63)撮影中に知り合ったナタリー・バルテルミー(ナタリー・ドロン)と64年に結婚。ハネムーンを兼ねて渡米するが、ハリウッドでは作品に恵まれず、まもなく帰国。米国進出の失敗を払拭するように「冒険者たち」(67)、「サムライ」(67)などでスターの座に返り咲く。68年に起きた元ボディガードの変死事件、翌年の妻ナタリーとの離婚など、数々のスキャンダルをも演技の糧とし、自らアデル・プロダクションを設立するなど製作者としても活動を開始。81年には「危険なささやき」で初監督にも挑戦。長年の旧友であるジャン=ポール・ベルモンドと共演した「ハーフ・ア・チャンス」(98)を最後に引退を宣言したが、TVドラマへの出演は続けている。ナタリーとの間にもうけた息子アンソニー、90年に生まれた娘アノシェカ、94年に生まれたアラン・ドロン・Jrも俳優として活躍中。
空白
罫線
空白
写真 空白 ブリジット・バルドー Brigitte Bardot (第2話:ジュセピーナ役)
 1934 年9月28日、パリ生まれ。父は航空会社を経営、母は保険会社重役の娘という裕福な家庭で育つ。幼い頃からバレエを学び、16歳でモデルを経験。ついで女性誌「エル」のカバーガールとなり、当時「パリ・マッチ」誌の記者をしていたロジェ・ヴァディムと知り合う。やがて映画の助監督となったヴァディムの計らいで、52年の「素晴らしき遺産」で女優デビュー。同年、ヴァディムと結婚。56年、ヴァディムの初監督作「素直な悪女」で鮮烈なヌードを披露し、古いモラルを吹き飛ばす新たなセックス・シンボルとして、“BB”の愛称で一躍有名になる。しかし同作の共演者ジャン=ルイ・トランティニャンと恋に落ち、ヴァディムとは57年に離婚。59年に俳優ジャック・シャリエと、66年には実業家と結婚。前者とは息子をもうけたが、いずれも離婚。さらに「真実」(60)撮影中、関係を持った監督のアンリ=ジョルジュ・クルーゾーの妻が服毒自殺したことからノイローゼとなり、26歳の誕生日に手首を切って自殺を図るなど波瀾の半生を送る。ルイ・マル監督の「私生活」(62)では、そんな生きざまを投影したような主人公の女優を演じ、大きな話題となる。73年の「ドンファン」を最後に映画界から引退。その後は動物愛護運動に精力を注ぐ。92年に政治家と再婚。
空白
罫線
空白
写真   フェデリコ・フェリーニ Federico Fellini (第3話 監督・脚本)
 1920 年1月20日、北イタリア有数の観光地リミニで商人の息子として生まれる。幼少の頃からサーカスを追って家出をしたり、駆け落ちしたりと自由奔放な性格で知られていた。やがて絵の才能を活かして、フィレンツェ、ローマへと渡り歩き、似顔絵描き、小説の挿絵画家、新聞・風刺雑誌への寄稿、ラジオドラマの台本など、さまざまな職業を経験。ネオレアリスモの巨匠ロベルト・ロッセリーニの依頼で「無防備都市」(45)の脚本に参加したのを契機に映画界入り。50年にアルベルト・ラトゥアーダと共同で「寄席の脚光」を演出、52年に「白い酋長」で監督として独立する。54年の「道」で世界的な名声を手に入れ、「崖」(55)、「カビリアの夜」(57)と、人間の内面的な救済を主題にした作品を撮り上げる。その後、視点は次第に物質主義社会の風刺や、現代人の倦怠、監督自身の心象風景といった抽象的な題材へと向けられ、絢爛たる映像美がトレードマークとなっていく。特に、カンヌ映画祭でグランプリを受賞した「甘い生活」(59)、アカデミー外国語映画賞を獲得した「81/2」(63)は、絶頂期の代表作として有名。私生活では、43年にラジオドラマの製作を通して知り合った女優ジュリエッタ・マシーナと結婚。華やかな業界にいながら特に浮名を流したことはなく、お互いに生涯の伴侶として添い遂げた。93年10月31 日、心臓発作のため逝去。遺作は「ボイス・オブ・ムーン」(90)。
空白
罫線
空白
写真   ニーノ・ロータ Nino Rota (第3話:音楽)
 1911年12月3日、ミラノ生まれ。音楽家一家の出身で、わずか11歳でオラトリオを、14歳で3部構成のミュージカルを書き上げるなど、幼い頃からずば抜けた音楽的才能を発揮し、神童の名を欲しいままにする。17歳でローマのサンタ・チェチリア音楽院を卒業し、奨学金を得て2年間米国に留学。作曲法、指揮法、音楽史などを習得する。帰国後、37年から音楽の授業を受け持つようになり、50年からはパリ音楽学校の校長を勤める。映画音楽は 40年代から本格的に手がけ始め、「太陽がいっぱい」(60)、「ロミオとジュリエット」(68)、「ゴッドファーザー」(72)など、映画史に残る名スコアを数々書き上げる。特にフェデリコ・フェリーニ監督との名コンビは有名で、「白い酋長」(51)から「オーケストラ・リハーサル」(78)で幕を閉じるまで、合計16本の作品で巨匠の描き出す夢のような情景を美しい旋律で彩る。二人の代表作となった「81/2」(63)では伴奏音楽のみならず、役者として画面にも登場している。73年に「陽は沈み陽は昇る」で日本映画にも楽曲を提供、翌74年に「ゴッドファーザーPART II」でアカデミー作曲賞を受賞。オーケストラ指揮の経験は数知れず、オペラや純音楽の分野でも偉大な功績を残している。79年4月10日、冠動脈血栓症のためローマで没。本名はニニ・リナルディ。
空白
罫線
空白
写真   テレンス・スタンプ Terence Stamp (第3話:トビー・ダミット役)
 1939 年7月22日、イギリスのロンドン生まれ。父はテームズ河を往来する曳き船の船長で、幼い頃から働きながら貧民街で育つ。美術学校を出て広告業界でデザイナーとして働くうちに俳優と接するようになり、友人の薦めで演劇界に転身。ウェバー・ダグラス演劇学校で1年間基礎を学ぶ。在学中に「オセロ」のイアゴー役を演じて注目を浴び、卒業後は幾つかの劇団に所属しながら俳優としての経験を積む。「可愛い妖精」(61)で映画デビュー。翌年、俳優のピーター・ユスティノフに見出され、「奴隷戦艦」(62)で主役の座を射止める。その演技が高く評価され、アカデミー助演賞の候補に。続く「コレクター」(65)では狂気の青年役を繊細な表現力と独特のセックスアピールで熱演し、カンヌ映画祭で男優賞を受賞。その後も「唇からナイフ」(66)、「テオレマ」(68)など、多くの話題作・問題作に出演。本作ではリチャード・バートン、マーロン・ブランド、ピーター・オトゥールらの候補を押しのけてトビー・ダミット役を見事な存在感で演じ切っている。私生活では、「遥か群衆を離れて」(67)で共演したジュリー・クリスティーを始め、数々のロマンスが噂されたが、70年代前半はインドを放浪し、麻薬漬けの生活を送っていたという。暫しのブランクを経て「スーパーマン」(78)の悪役でメジャー映画にもカムバック。近年も「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」(99)、「ホーンテッドマンション」(03)などで健在ぶりを示している。
空白
雑誌等で宣伝用に写真を使用する場合は、下記のコピーライト表示を併記していただくようにお願いいたします。
© 1968 TF1 INTERNATIONAL/ P.E.A.
罫線
  一覧に戻る空白トップに戻る空白
罫線
 amazon.co.jpでも好評発売中  アマゾンのバナー空白

TOP>DVD&ブルーレイ>絶版商品>個別商品情報

COPYRIGHT ©1998-2012 NEW LINE Co. Designed by Tsutomu Takahashi
TOPへのリンク