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スチュアート・ゴードン
Stuart Gordon |
1947年、イリノイ州シカゴ生まれ。60年代末より演劇界で活躍し、その後テレビのディレクターになる。ブライアン・ユズナに見出され、エンパイア・ピクチャーズのために製作した劇場映画デビュー作「ZOMBIO(ゾンバイオ)/死霊のしたたり」(85)で熱狂的なファンを生む。その後も「フロム・ビヨンド」(86)、「ドールズ」(86)をヒットさせ、ホラー映画監督としての地位を確立した。フルムーン・ピクチャーズでも、「ペンデュラム/悪魔のふりこ」(91)、「キャッスル・フリーク」(95)など独特の映像美に満ちた傑作を連発。その一方で、「ロボ・ジョックス」(89)、「フォートレス」(92)、「スペース・トラッカー」(96)などSF映画を演出した。ファミリー向けの「ミクロキッズ」(89)、その続編「ジャイアント・ベビー」(93)の原案も手がけている。 |
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チャールズ・バンド
Charles Band |
1951年、ロサンゼルス生まれ。映画監督の父アルバートの影響で幼い頃から映画界に慣れ親しみ、自主映画製作を経て73にポルノ映画で監督デビュー。「クラッシュ!」(77)、「SFレーザーブラスト」(78)などホラー・SF映画を手がけ、低予算映画の監督・プロデューサーとしての地位を固めた。その後映画製作を休止し、ビデオ会社メディア・ホーム・エンターテインメントを設立。大量のホラー映画をリリースしてマニアを沸かせた。メディア売却後にデミ・ムーア主演「悪魔の寄生虫・パラサイト」(81)や「メタルストーム」(83)などの3D映画を監督し、再び注目を浴びる。83年にホラー・SF映画を中心にしたエンパイア・ピクチャーズを立ち上げ、「ZOMBIO(ゾンバイオ)/死霊のしたたり」(85)、「ドールズ」(86)などの大ヒット作を配給。バンドもヘレン・ハント主演「トランサーズ/未来警察2300」(85)などを監督する。88年、エンパイアは「ロボ・ジョックス」の製作中に倒産するが、同年バンドはパラマウント・ホームビデオと提携し、DTV(ビデオ用映画)専門会社フルムーン・ピクチャーズを設立。「パペット・マスター」(89)をはじめ、ヒット作を次々にリリース。自身も本名やロバート・タルボット他の名義を使って「ジュラシック・キッズ」(93)、「クォーズ/4つ子の遺伝子物語」(96)などを監督している。97年のパラマウントとの契約の終了以降フルムーンは失速するが、現在もホラー・ビデオをリリースし続けている。 |
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デヴィッド・アレン
David Allen |
1944年、カリフォルニア州バーバンク生まれ。「キング・コング」(33)や「シンバッド七回目の航海」(58)などに影響され、やがてストップモーション・アニメーターを志す。学生時代に、モンスター映画仲間のデニス・ミューレン(現ILM)と16mmのホラー映画「Equinox」を製作したのをきっかけに、ストップモーション・アニメを使った子ども向けテレビシリーズや、テレビCMのVFXに参加。アカデミー特殊効果賞にノミネートされた大作「恐竜時代」(70)、SFポルノ「フレッシュ・ゴードン/SPACE
WARS」(74)を経て、「U.M.A.2002 レイク・モンスター」(77)で念願だった長編劇映画のストップモーション・アニメ・スーパーバイザーとなる。やがてチャールズ・バンドと出会い、「SFレーザーブラスト」(78)、「異次元へのパスポート」(80)、SFオムニバス「SFダンジョン・マスター/魔界からの脱出」(85)、「ドールズ」(87)、「パペット・マスター」(89)シリーズ、「オブリビオン」(94)など、無数のB級SF・ホラー映画でVFXを担当。低予算映画だけではなく、スティーヴン・スピルバーグの「ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎」(85)、「ニューヨーク東8番街の奇跡」(87)、ルーカス・フィルムの「ウィロー」(88)などの大作や、IMAX作品「スペシャル・エフェクト」(96)でもクリーチャーFXを担当した。監督業にも積極的で、「SFダンジョン・マスター」のワン・エピソードや「パペット・マスター・」(91)を演出している。1999年、第3回監督作品「The
Primevals」の撮影中にガンのため死去。 |
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カール・ゴットリーブ
Carl Gottlieb |
1938年、アメリカのニューヨーク生まれ。役者として「M★A★S★H
マッシュ」(70)、「キャノンボール」(80)、「スティング2」(83)、「クルーレス」(95)に出演。「JAWS/ジョーズ」(74)で脚本家としてデビューし、以後「JAWS/ジョーズ2」(78)、「ジョーズ3」(83)とシリーズの脚本を執筆した。スティーヴ・マーティンと共同で原案を手がけた「天国から落ちた男」(79)や「イージー・マネー/一攫千金」(83)などコメディ路線で活躍。監督デビューはスティーヴ・マーティン主演のコメディ「Absent-Minded
Waiter」(77)。その後、脚本家として参加した本作の監督に抜擢される。その他の監督作にはジョー・ダンテ、ジョン・ランディスらと共に参加したオムニバスのパロディ映画「アメリカン・パロディ・シアター」(87)がある。 |
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ランディ・クック
Randall William Cook |
1951年、アメリカ生まれ。ディズニー・プロでストーリー・ボード・アーティストをしていたが、ディズニーの製作方針が気に入らずに退社。デイヴィッド・アレンに弟子入りしストップモーション・アニメのテクニックを磨く。「SFレーザーブラスト」(78)、「異次元へのパスポート」(80)などで活躍した後、リチャード・エドランドのボス・フィルムに参加。「ゴーストバスターズ」(84)、「2010」(84)など大作を経て独立。ティボー・タカクス監督の「ザ・ゲート」(87)シリーズや「ハードカバー/黒衣の使者」(89)のVFXで注目を集める。デジタル・アニメーター転向後にピーター・ジャクソン監督と出会い、CGクリーチャー総監督として「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズに招かれ、2年連続でオスカーを獲得した。 |
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ラロ・シフリン
Lalo Schifrin |
1932年、アルゼンチンのブエノスアイレス生まれ。ジャズ・ピアニストでもあるシフリンは、絶妙なアレンジと独特のグルーブを武器に、テレビや映画で活躍している大御所。トム・クルーズの映画版でも使われたテレビシリーズ「スパイ大作戦」(66)や、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」(73)のテーマ曲は映画ファンならずともお馴染み。「シンシナティ・キッド」(65)、「ブリット」(68)、「鷲は舞いおりた」(76)、「悪魔の棲む家」(79)など数々の名スコアを生み、アカデミー賞6度、ゴールデン・グローブ賞3度、グラミー賞に2度ノミネートされた。「マンハッタン無宿」(68)、「白い肌の異常な夜」(71)、「シノーラ」(72)、「ダーティハリー」シリーズ、「突破口!」(73)など、ドン・シーゲル監督やクリント・イーストウッドとのコンビにも傑作が多い。 |
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リンゴ・スター
Ringo Starr |
1940年、イギリスのリヴァプール生まれ。62年、ドラマーとしてビートルズ結成に参加し、一世を風靡。ビートルズのアイドル映画「ビートルズがやって来る/ヤア!ヤア!ヤア!」(63)、「HELP!四人はアイドル」(65)、声優として「ビートルズ/イエロー・サブマリン」(68)などに出演する。ビートルズ関連作以外にも、独特のとぼけたキャラクターを生かし「キャンディ」(68)、「マジック・クリスチャン」(69)、「盲目ガンマン」(71)、「結婚狂奏曲セクステット」(78)などの作品で名バイプレイヤーぶりを披露。「おかしなおかしな石器人」(81)は、リンゴの初主演作。この作品で共演したバーバラ・バックと81年に再婚した。ポール・マッカートニーと共演した「ヤア!ブロード・ストリート」(84)には、バーバラ・バックと夫婦で出演している。 |
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バーバラ・バック
Barbara Bach |
1949年、ニューヨーク州クイーンズ生まれ。エキゾチックな風貌は、オーストリア人の父とアイルランド系の母の間に生まれたため。17歳でモデルになり、ニューヨークやヨーロッパで活躍する。イタリアのTVミニシリーズ「The
Odyssey」(68)で女優デビュー。サスペンス・スリラー「タランチュラ」(70)、ラブロマンス「水の中の小さな太陽」(71)などに出演した後、「007/私を愛したスパイ」(77)で10代目ボンドガールに抜擢され、国際的スターになる。しかし、その後は「パニック・アリゲーター/悪魔の棲む沼」(78)、「ヒューマノイド/宇宙帝国の陰謀」(79)、「ドクター・モリスの島/フィッシュマン」(79)、「恐怖のいけにえ」(80)など、キワモノ系ホラー映画での活躍が印象に残る。「おかしなおかしな石器人」(81)で共演したリンゴ・スターと再婚し、「ヤア!ブロード・ストリート」(84)で夫婦共演した。 |
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ネイザン・ジュラン
Nathan Juran |
1907年、オーストリア生まれ。少年時代にアメリカに渡り、37年に美術スタッフとして映画界に入る。その後美術監督として活躍。ジョン・フォードの「わが谷は緑なりき」(41)でアカデミー賞モノクロ美術賞を受賞。「剃刀の刃」(46)でも同賞にノミネートされる。第二次大戦中は映画界から離れるが、戦後ハリウッドに復帰。スリラー映画「The
Black Castle」(52)より監督に転向。アクション、サスペンス、SFなど、B級映画を数多く手がけている。代表作は、レイ・ハリーハウゼンと組んだ「地球へ2千万マイル」(57)、「シンバッド七回目の航海」(58)、「H.G.ウェルズのS.F.月世界探検」(64)。ネイザン・ハーツ名義で「妖怪巨大女」(58)なる怪作も撮っている。最後の作品は、カーウィン・マシューズ主演の「現代狼男の怪」(73)。2002年、老衰により死去。 |
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ジム・ダンフォース
Jim Danforth |
1940年、アメリカ生まれ。「キング・コング」(33)に憧れ、自主製作で恐竜映画などを撮りはじめる。高校卒業後にアート・クローキー・プロに入社し、テレビシリーズ「ガンビー」(57)のストップモーション・アニメを担当。その後プロジェクト・アンリミテッドで「タイム・マシン/80万年後の世界へ」(60)、「不思議な世界の物語」(62)などに参加。「ラオ博士の7つの顔」(64)のストップモーション・アニメと、VFXを監督した「恐竜時代」(70)でアカデミー特殊効果賞にノミネートされ、若き天才として注目を浴びた。「ドラゴン・ワールド」(94)などでストップモーション・アニメを手がけながら、マット・アートでも活躍。「トワイライトゾーン/超次元の体験」(83)、「パラダイム」(87)、「バグジー」(91)など、ジャンルを問わず多くの作品に参加している。 |
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ジーン・ウォーレン
Gene Warren |
1916年、アメリカ生まれ。俳優を目指しハリウッドに行くが芽が出ず、人形劇の背景画を描いていたところをジョージ・パルにスカウトされ、アニメーターとしてパルの立体アニメ“パペトゥーン”に参加。パルが劇映画に進出した時は、パルの推薦でパラマウント映画の特殊効果部に移っている。やがて同僚だったウォー・チャンらとVFX専門プロダクションを設立。その後、社名をプロジェクト・アンリミテッドと変え、「親指トム」(58)、「タイム・マシン/80万年後の世界へ」(60)、「不思議な世界の物語」(62)、「ジャックと悪魔の国」(62)、テレビシリーズ「アウターリミッツ」(63)、「ラオ博士の7つの顔」(64)ほか多くのSF・ファンタジー映画で活躍。「タイム・マシン」でアカデミー特殊効果賞を受賞している。97年、ガンのため死去。 |
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ウォー・チャン
Wah Chang |
1917年、ハワイ生まれの中国系アメリカ人。少年時代より芸術面での才能に長けており、20歳の時にディズニー・プロの効果部門に入社。「ピノキオ」(40)、「ファンタジア」(40)、「バンビ」(42)といった作品のデザイン検討用モデルの彫刻などを担当していたが、体調を壊したために退社。ディズニーの親友でもあるジョージ・パルのスタジオで、“パペトゥーン”の人形製作スタッフになる。その後パラマウント映画の特殊効果部を経て、ジーン・ウォーレンとVFX工房プロジェクト・アンリミテッドを設立。数多くのSF・ファンタジー映画で主にモデルやプロップ製作を手がけており、「宇宙大作戦」(66)など多くのテレビシリーズでも活躍している。 |
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カーウィン・マシューズ
Kerwin Mathews |
1926年、ワシントン州シアトル出身。名家の子息として生まれ、ワイオミングのハイスクールとカレッジを優秀な成績で卒業。母校で教師をしていたが、その後パサディナ・プレイハウスに入る。「Five
Against the House」(55)で映画デビュー。58年には戦争ドラマ「タラワ肉弾特攻隊」とモンスター大作「シンバッド七回目の航海」に主演。学生時代にフェンシングを習っていたことから、アクションのできる正統派二枚目として注目を浴び、「スパルタの若獅子」(60)、「ガリバーの大冒険」(60)、「FBIモスクワに潜入せ」(60)、「ジャックと悪魔の国」(62)などに出演する。60年代半ばよりヨーロッパに活躍の場を移し、アクションなどB級映画を中心に活躍した。「吸盤男オクトマン」(71)、「現代狼男の怪」(73)、「Nightmare
in Blood」(78)などのホラー映画にも出演するが、以後は振るわず。 |